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ピニンファリーナが生んだ車の特徴・レース用自転車

更新日:2024年10月02日

1930年にイタリアで創業されたピニンファリーナ、自動車好きの人なら知らない人はいない有名自動車製造の会社です。この会社は、フェラーリのデザインを手がけたことから、世界的に名が知られました。ピニンファリーナが生んだ車の特徴に迫ってみましょう。

ピニンファリーナが生んだ車の特徴・レース用自転車

ピニンファリーナが生み出した車の特徴

ピニンファリーナは1893年生まれ、11歳の頃から兄の経営するコーチビルダーで働きはじめ、デトロイトで修業後ピニンファリーナ社を創業しています。自動車のデザインやボディの製造、システムキッチンやエスプレッソマシンな、どとても多岐に渡るデザインを手掛けています。

イタリアではフィアットと同様に知らない人はいない位有名な人です。手がけた自動車は、フェラーリやジャガーなど歴史に残る名車や日本車も多くデザインしています。1940年代にデザインしたシチタリア202は、ニューヨーク近代美術館で優秀なデザインの8台に選ばれ、永久展示されることになりました。その後、フェラーリのデザインを手掛けることになり、世界的に名が知れ渡ることになります。

ピニンファリーナのレース用自転車

ピニンファリーナが数多く手がけるデザインのひとつにレース用自転車がります。美しいデザインの自転車で疾走すると爽快感を感じられるでしょう。

デローザ

レース用自転車を販売するデローザは、ピニンファリーナ社と共に極めた美しいデザインが魅力的です。4種類のカーボンを使い、スケルトンフレームの基本性能を存分に活かしたデザインを採用しています。シャープな直線と滑らかな曲線と見事に一致させ、ラグジュアリーなフォルムに調和させています。

プロフェッショナルなライダーも納得できる走りをサポートし、後負荷の加速にも俊敏に対応して伸びやかな走りを実現します。2018年モデルでは、猛々しさと美しさのデザインを共存させたディスクモデルを限定販売しています。

ピニンファリーナの車

ピニンファリーナがデザインした車をご紹介します。

日産 ブルーバード

ピニンファリーナがデザインしたブルーバード410型とセドリック130型。1963年に登場した二代目ブルーバードは当初1000ccと1200ccで、後に1300ccとスポーツタイプの1600sssも発売されました。発売当時は、セドリックと同様に尻下がりと言われ不評だった歴史があります。

ホンダ シティカブリオレ

1984年に国産唯一のおしゃれなフルオープンカーとして発売されました。シティ全体が、トールボーイと言う背の高さを強調したデザインで考えられました。カブリオレとはフランス語で一頭立て二輪馬車を意味し、ヨーロッパで軽快な乗り物の総称として呼ばれていました。

ピニンファリーナデザインでカラーは12色販売され自分好みの色が選べました。カラーバリェーションの多さは、当時としては珍しかったでしょう。内装には使い勝手にあわせて選べるシックなファブリックシートと、汚れに強いビニールレザーシートが採用されていました。ファッショナブルなオープンカーとして脚光を浴びた1台です。

フェラーリ 250GTクーペ

1954年パリのサロンで一般公開された車です。一般モータリスト向けのモデルを規格化しようとするフェラーリ初の試みでした。ピニンファリーナが最初の数台をつくりマシタガ、グルリアスコの新工場が建設途中であった事から需要が追いつかず、ボアーノが政策を引き受けることになります。1年で80台制作された車です。

シボレー コルベット ロンディーヌ

1963年に造られたモデルで、流れるようなボディにC2コルベットに搭載されているエンジンとマニュアルミッションが使われています。デザインからかけ離れたスペックに注目されました。今でも、度々オークションにかけられて高値で落札されている名車です。

ピニンファリーナセルジオの特徴

ピニンファリーナセルジオは1936年トリノで生まれました。トリノ工科大学を卒業後、父親の経営するピニンファリーナ社に入社しました。1961年にCEOに就任し、20016年に名誉会長となります。そして、2012年85歳で生涯を閉じます。

デザインしたスポーツカーは、フェラーリやアルファロメオ、ボルボ、プジョーなど、多くの名車が残されています。

世界限定6台

ピニンファリーナと繋がりの深いフェラーリは、1952年からパートナーシップを結び今に続いています。2015年にフェラーリとピニンファリーナとの協力60周年を記念して、「ピニンファリーナ フェラーリ セルジオ」と名付けられた世界限定6台のフェラーリが発売されました。

創業者一族

ピニンファリーナ・セルジオは創業者の息子です。1961年に父親に代わりCEOに就任しました。現在は、創業者の孫にあたるピニンファリーナ・パオロがCEPを務めています。2015年にはインドの自動車会社、ヒンドラ・アンド・マヒンドラに買収される見込みだと報道されました。

このニュースを聞いて悲しむ声もありましたが、ピニンファリーナは事業の拡大を果たし、更なる成長を目指すステップとして考えています。さらにハイレベルな商品提供をするために必要な業務提携なのでしょう。買収後も独立したデザインオフィスとしてあり続け、現在の社長の下、素晴らしいデザインをつくり続けています。

奥山清行

奥山氏は、ピニンファリーナでデザインディレクターをしていた日本人です。2006年に退社し、現在は独立していますがコルベットやポルシェ、フェラーリのデザインを手がけました。特にフェラーリのデザインは、イタリア人以外で初めてデザインした人として知られる大変有名な人です。

2013年には、ヤンマーホールディングスの取締役に就任して農業用のトラクターデザインも手掛けています。最近では、個性的なデザインで話題を集めた北陸新幹線が2014年にグッドデザイン賞を受賞しています。

ピニンファリーナとジウジアーロの車デザイン

ピニンファリーナと同じく、イタリアを代表するデザイナージウジアーロ。ピニンファリーナは、曲線を表現したデザインが特徴ですが、ジウジアーロは直線を使ったデザインが得意です。初代VWゴルフや初代フィアット・パンダが有名です。ピニンファリーナのデザインした車と比較してみましょう。

スバル アルシオーネSVX

1991年に発売された2クーペの車です。ドアガラスがルーフ面まで回りこんでいるキャノビー調のデザインが特徴です。当時のキャッチコピーは「遠くへ、美しく」。このコピーに恥じないデザインと最新のシステムを搭載した車でした。当時のスバルが技術を集め、威信をかけて発売したハイクラスクーペです。

当時、スバルがジウジアーロのスケッチを忠実に再現したため、現車を見たジウジアーロは、スケッチのままじゃないかと感激したそうです。スバルはスケッチ通りに再現するためサイドウインドは開かないようにしたかったが、法規のため断念しました。

スズキ 4台目キャリイ

カクカクした六角形のボディは、デザインジウジアーロの特徴を大きく表現しています。1969年発売の車で日本人離れしたクールなデザインが魅力的でした。一方開きのL40、三方開きのL41、パネルバンのL40Bがありました。

日産 初代マーチ

1982年に発売されたマーチも、ジウジアーロはが手がけたデザインです。四角いハッチバックに、各部の処理は初代のゴルフに見られる手法を取り入れています。ジウジアーロは、同じ時期に違うメーカーの車を取り入れることがあり、初代のマーチはフィアットのウーノに似ています。

ピニンファリーナは自動車デザインの巨匠

ピニンファリーナ一族は、イタリアではとても有名なデザイナーでした。この人の名前を知らなくても、車名を聞けば思い浮かぶ数々の名車デザインを生み出してきました。また、車だけにとどまらず、幅広い商品のデザインを手がけ日本でも多くの商品が販売されています。

身近な商品ですと、バーベキューの時にお世話になる「コールマン・ピニンファリーナ・バーベキュー」があります。工業用デザイン以外にも身近な商品を多く生み出す身近なデザイン会社でした。

初回公開日:2018年04月24日

記載されている内容は2018年04月24日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。
また、記事に記載されている情報は自己責任でご活用いただき、本記事の内容に関する事項については、専門家等に相談するようにしてください。

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