世界の最強の戦車5|第二次世界大戦/国別
更新日:2024年10月10日
第二次世界大戦で最強の戦車
第二次世界大戦では、各国が大戦の勝利を勝ち取るためにあらゆる戦車を製造してきました。勝った国や負けた国など関係なく、大戦を通じて最強な戦車をご紹介します。
最強を誇るドイツ軍戦車:ケーニヒスティーガー
1941年5月26日のドイツ陸軍兵器局との会議で、ヒトラーは強力な装甲と火力をもつ重戦車の開発を要求しました。その要求に基づいて兵器局第6課はポルシェ社とヘンシェル社に45トン級の戦車の開発を命令しました。それが後の第二次世界大戦で最強の戦車となる、ケーニヒスティーガーの誕生の始まりです。
各社はそれぞれ試作を重ね、最終的に兵器局はヘンシェル社の設計案を採用し、1942年10月に本格的な戦車の製造にとりかかりました。1943年3月13日に「ティーガーⅡ」という名称で公式に使用されました。
「ケーニヒスティーガー」は通称であり、「ティーガーⅡ」や「ティーガーB型」などの名称よりはるかに知名度は高いが、公式に認められてはいませんでした。
ケーニヒスティーガーの性能
ケーニヒスティーガーの主砲は、第二次世界大戦時に実用化された戦車の中で最強レベルの威力をもつ戦車砲です。その主砲から毎秒1,000メートルの速さで砲弾が放たれ、当時存在したほとんどの戦車の前面装甲を貫通することができたと言われています。
射程距離2,000メートルからでも戦車の装甲を貫通することが可能なため、敵軍戦車の射程外からの攻撃ができることも最強である理由の一つです。
また、攻撃力だけではなく、その防御力も世界最強です。ケーニヒスティーガーの最高装甲厚は砲塔で180ミリメートル、車体でも150ミリメートルの装甲を持ちます。それはどの軍の戦車においても貫徹することができない最強の装甲であったと言われています。
国別でみる最強戦車
第二次世界大戦は世界中の多くの国々を巻き込んだ最も大規模な戦争です。各国はその大戦を勝ち抜くためにこぞって戦車の製造に尽力しました。その結晶ともいえる各国の最強の戦車をみていきましょう。
日本の戦車:九七式中戦車
九七式中戦車、通称チハは1936年に、歩兵の支援のための戦車として開発が開始されました。その後1937年6月にチハ試作車が三菱重工により完成しました。
チハの大きな特徴はエンジン部分にあります。各国の戦車はガソリンエンジンを採用していましたが、チハは空冷ディーゼルエンジンを搭載した戦車でした。ディーゼルエンジンは、揮発性の高いガソリンを使わず軽油を使用するため、爆発のような火災が発生する危険性が低いです。
またガソリンの入手に制限があった当時において、軽油を使用することは調達や補給の面で大きく有利であったと言えます。
日本の戦車チハの性能
チハは歩兵の支援として開発された戦車であるため、対戦車に対抗するほどの威力はありませんでした。しかし日本軍最強クラスであるチハの攻撃の特徴は威力ではなく、その攻撃形態にあります。
チハの弾丸は威力はないものの、発射後標的付近で爆発することで広範囲に被害が及ぶように設計されており、砲弾の重量は3キロ程度と比較的扱いやすいものでした。
ドイツの戦車:パンター
ドイツの戦車の中で最も多く生産された4号戦車と並ぶドイツ最強クラスの戦車になります。4号戦車は第二次世界大戦を通して愛用され、コストパフォーマンスにも優れており量産に適していました。
しかしソビエトで強力な戦車のT-34が登場し、4号戦車では対抗しきれなくなりました。そこで、T-34に対抗する戦車としてパンターが開発されました。コストパフォーマンスも悪くなく、4号戦車と並んでドイツにおける大戦後期の最強戦車として重宝されました。
ドイツの戦車パンターの性能
主砲の威力は最強クラスで、ソビエトの戦車T-34を1,000メートル以上の距離から撃破できるほどです。また強力な重戦車であっても、近距離ならどの方向からでも撃破できるため、柔軟な戦闘が可能であり、その点でも最強と言えます。
パンターの車体には、現代でも使われるトーションバー・サスペンションが内蔵されており、不整地でも問題なく走行できるほど良質のばねを備えています。攻撃や防御に合わせて、機動力に関してもT-34に勝る最強の戦車と言えます。
韓国の戦車:K2
第二次世界大戦時に韓国は自国で戦車を生産できませんでした。その後1980年に、アメリカのクライスラー・ディフェンス社と共同で製造したのが88戦車、通称K1戦車と呼ばれる戦車です。そしてその後継品で通称黒豹と呼ばれているのが韓国最強のK2戦車です。
その攻撃力は最強で、戦車の側面装甲を2両分貫通できるほどで、さらに砲弾は自動装填式になています。エンジンは1,500馬力で時速70キロ以上の走行が可能です。また油圧式サスペンションを搭載しているため、どのような地形でも安定して走行できます。
ドイツやアメリカなどの外国製部品を最大限に活かした組み立てで、攻撃・防御・機動力に優れた最先端の戦車です。戦後だからできる、各国の戦車の利点をかけ合わせた最強の戦車であると言えます。
世界の最強戦車5
これまでにご紹介した戦車以外にも最強クラスの戦車はまだまだあります。世界中で活躍した戦車を形式でご紹介します。
第5位:センチュリオン戦車(イギリス)
全長9.83メートル、重量52トン、走行速度は34キロの戦車で、イギリスでは戦車の名前に頭文字がCで始まる名前を付けるのが伝統になっています。当時イギリスにとって戦車は、偵察用の軽戦車と歩兵支援用の重戦車とに区別していました。
しかしドイツやソ連が機動性に優れ、最強の攻撃と防御をもつ戦車を開発したことにより、イギリスも軽戦車や重戦車の区別をしている場合ではなくなりました。そして登場したのがセンチュリオン戦車です。
機動力や防御力はさることながら、やはり最強を誇るのはその攻撃力です。その主砲は当時最高レベルだった20ポンド砲を搭載しており、ドイツの最強戦車であるタイガー戦車を撃破するほどでした。
第4位:M1エイブラムス戦車(アメリカ)
全長9.83メートル、重量54.45トン、整地では67キロの速度で走行でき、アメリカの主力戦車として40年以上戦力の中心となった戦車です。全体的にシンプルな設計ではありますが、そのエンジン部分には航空機用エンジンのガスタービンを採用しているのが特徴です。
ガスタービンエンジンは軽く、コンパクトであるため、戦車のように制限された車体内に搭載しやすい作りになっています。またガスタービンは急加速・減速がスムーズなので加速性能に優れています。
この戦車の一番の特徴は電子センサーと情報システムです。前方に置かれた視察装置により夜間でも3,000メートル遠方の敵を確認することが可能です。そしてその情報はネットワークにより各部隊や指揮系統に伝えることができ、アメリカの戦力の要となるシステムであったと言えます。
第3位:T-55(ソビエト)
全長9.2メートル、重量36トン、整地では時速50キロで走行でき、ソビエト最多の生産数を誇る戦車です。その数は100,000両と、ほかの戦車とは桁外れの生産数で、大戦後の戦車開発の基準なった戦車でもあります。
T-55は最強威力の重戦車T-34の後継品であり、その主砲は当時最強であった100ミリ砲を搭載していました。世界でのゲーム「メタルマックス」、「wot blitz」、「war thunder」などにも登場する有名な戦車です。
また核戦争下でも運用することを前提に設計されており、放射能に覆われた戦場でも問題ありません。トーションバー・サスペンション搭載で、不整地でも安定した走行が可能で、まさに場所を選ばない設計となっています。
第2位:パンター戦車(ドイツ)
前述でも紹介しましたが、全長8.66メートル、重量44.8トン、整地では時速55キロの走行が可能で、タイガー戦車と並ぶドイツ最強クラスの戦車です。パンターはソ連のT-34を研究し、設計したため、その形状がT-34に似ています。
ドイツの戦車はどれも最強クラスの攻撃力を有し、パンターはT-34を1,000メートル以上の距離からでも撃破でき、総合的にもT-34を上回る性能をもつ戦車であると言えます。装甲は大戦中の重戦車に対して十分に対応できるほど優秀で、トーションバー・サスペンションによる安定した走行が可能です。
このように、攻撃・防御・機動性、どれにおいても最高クラスで、第二次世界大戦時における戦車では最強の戦車であったと言えます。
第1位:レオパルド2(ドイツ)
全長7.7メートル、重量62トン、最高速度72キロで走行できる、第三世代と呼ばれる時期に開発された初めての戦車です。戦車には攻撃・防御・機動力が必要だと言われていますが、レオパルド2は防御の要である装甲が突出して優れています。
戦車は戦場において、相手部隊の前線を突破することが任務であり、そのためには前線においても破壊されない装甲を持つことが理想とされていました。それをレオパルド2は複合装甲を搭載することで実現しました。これにより、あらゆる対戦車兵器にも耐えうる戦車となりました。
また、強力なディーゼルエンジンと効率的に力を伝える走行装置により、62トンという重量にも関わらず、最高72キロもの速度で走行できるのも特徴の一つです。無敵の走行と他の戦車では成しえない速度で前線に立つレオパルド2は最も実用性に優れた最強の戦車です。
第二次世界大戦は戦車全盛期
国の戦力の要である戦車には、当時の国の技術を集約させた傑作であると言えます。国ごとに特徴が異なり、戦車が国を表すといっても過言ではありません。また、敵国の戦車を研究し、その結果を設計に反映させることも技術向上の要因になります。
大戦は血で血を洗う忌むべき事象ではありますが、そこで生まれた技術は後世に伝えるべき誇れる功績であると言えます。
初回公開日:2018年03月22日
記載されている内容は2018年03月22日時点のものです。現在の情報と異なる可能性がありますので、ご了承ください。
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